特別お題「わたしがブログを書く理由」
父の日記
父の葬儀の前の日に
父の机の引き出しの中を何気なく見ていると
ノートが出てきた
A4のノートを縦書きにして書いた日記だった
父の字だ
長く続いた病気との闘いで最後は話すこともできなくなってしまった
父の懐かしい字
父の人柄を表す真面目で整ったきれいな字
そこには家族のことと
娘の私からは見えなかった
父の気持ちが書かれていた
私の目から涙があふれた
父と私
父は末っ子の私を本当にかわいがってくれた
父は私のいうことはなんでも聞いてくれた
だから兄と姉は何か父にお願いしたいときは
私にお願いして欲しいと頼んできた
私も父が「いいよ」と言ってくれるのがうれしくて
私だと「いいよ」と言ってくれるのがうれしくて
そして兄たちが私を頼ってくれるのがうれしくて
そのやり取りは大好きだった
親になった今ならわかるが
兄、姉が言っても
父は「いいよ」と言ったと思うが
兄たちは少しでも成功率をあげたくて
私に頼んだんだろう
今となっては子どもの頃の
いとおしい思い出だ
あと父との思い出で
私が小さいころから何度も何度も
うんざりするほど母から聞かされた話
「ひたすらおんぶ登山」
まだ私が幼稚園かその前くらいに
父の仕事仲間とまあまあの高さの山登りに
行くことになった
そして父は家族5人を連れて参加した
登山当日、登山口で
さあ登りましょうとなった時
小さかった私は父に
「おんぶ」と言ったそうだ
そう登山口で
そして父は何も言わず
登山口から休憩所までおんぶしたそうだ
休憩所についた私は水を飲みたっぷり休憩
そして、さあ出発!となったら
「おんぶ」
父はまた黙っておんぶしてくれたそうだ
そしてお昼休みではおにぎりを食べたっぷり休憩
そして「おんぶ」
もう聞いているだけで父に申し訳ない
そして二つの山のハイキングコースを
私をずっと「おんぶ」して歩いてくれたそうだ
周りの仕事仲間からは「えらいね~」と言われていたそうだ
今思うと周りから私はどんな子どもに写ったのか
少々不安だが今は深堀しないでおこう
父の子どもへの深い愛情を感じずにはいられない
きっと母もそんな父の思いと
娘の幼さが故の「おんぶ」攻撃が面白くて
80歳を過ぎてもまだ楽しそうに語るのだろう
父と本屋
父は本が大好きだった
休みの日になると本屋によく連れて行ってもらった
父は大人の難しそうな本が並んだ本棚の前につくと
「見ておいで」と言う
そして私は子どもの本のところで色々な本を
見てまわった
父は必ず「何かいい本はあったか?」
と言って私が見つけた本を買ってくれた
そして紙袋に包まれた本を胸に抱いて
サンダルを履いた父と一緒に帰った
あの風景は今も忘れない
やってきた反抗期
父に一番甘えたはずの私に反抗期がやってきた
今考えても本当に申し訳ない態度をとった
父をにらみ
父に口答えし
本当に思いっきり反抗させてもらった
今考えればあれは反抗というか
胸を借りたという感じだったと思う
それをしっかり受け止めてくれた父には感謝以外ない
そして父に陰で私をフォローしてくれていた母にも感謝である
今親になり静かに拒絶はされるものの
私のような大反乱を起こさない子どもたちに感謝である
父との別れ
そんな反抗期が終わり親子関係が穏やかになり
また親子仲良くなってきたころ
私は結婚した
そして父にとっての孫が生まれ
きっと私にも向けていたであろう優しい目で
孫たちを抱っこしたり
背中に乗せてお馬さんごっこをしたり
幸せな時間が流れた
そして私は子育てに夢中になり
父は趣味の絵を描いたり
美術館を巡ったり
本読んだりして
老後を過ごしていた
そして父の背中があんなに小さかったかなと感じた頃
父が倒れ、手術を繰り返し、足が不自由になった
しかし真面目な父はリハビリを頑張り
一人で歩けるまで回復した
父は元気な頃から
「みんなに迷惑かけないようにする」
と言っていたのをリハビリで頑張る父を見て思い出していた
最後は実家で父の介護をさせてもらったが
父は娘に介護をしてもらうことをどう思っていたんだろう
父はとてもプライドが高いところがあったので
傷ついていないといいなと思う
そして自宅介護では手に負えなくなってきて
ホームに入ることになった
本当に辛かった
でもホームの皆さんにとても良くしていただいて
ホームに入れて良かったと思うまでにそう時間はかからなかった
そしてコロナが流行
父と会えない日々が続いた
ホームの方がビデオ通話でつないでくれて
もうその時は父は会話はできなかったが
父の元気な姿を見ることが出来た
ホームの方に感謝しかなかった
そしてコロナ禍という時が過ぎ
父が亡くなった
父の最期に会えなかった
あんなに愛してもらったのに
父は家族に見守られることなく
逝ってしまった
寂しかっただろう
会いたかっただろう
父の気持ちを考えると
涙が止まらなかった
私は急いでホームに駆けつけ父に会った
父は寝ているようだった
そして最期まで生き様を見せてくれた父に
「ありがとうございました」
と伝えた
葬儀の日
葬儀の前の日に見つけた父の日記を
みんなに見ていただきたくて
一部分コピーを取って
父の思い出の写真とともに飾った
そして告別式が終わるとき
母が喪主の挨拶をした
そして私が知らない父を知った
父は戦争を体験している
父は終戦の時14歳だったそうだ
飛行機が好きだったのもあるが
体が小さく細く体重が軽いから
飛行機の燃料が食わなくて
良かったからなのか
飛行機に乗る訓練を受けていたそうだ
そんな父を心配する祖母に心配かけまいと
「2秒でいけるらしいから大丈夫」
と父は話したらしい
父はいつも私たちに
「戦争は絶対にしたらいけない!」
と強く話していた
だから父がそんなことを
祖母に話したと聞いてびっくりした
そして母の話は続いた
「母(祖母)にひどいことを言った」
と父がずっと後悔していたと
私が知らない父の歴史を知った
わたしがブログを書く理由
私もいつ何があってもおかしくない年齢になってきた
父が亡くなってからわかった父の思い
父が亡くなってから知った父の歴史
それを知った時に
私も頭の中にあることを
表現したくなってきた
忙しいことを言い訳に
子どもたちの育児日記を書いてこなかった罪悪感もある
何かを残してあげたいと思った
しかし日記というのは人に見られるのが
ちょっと恥ずかしかったりする
特に目の前では
だから私が父の日記を引き出しから見つけたように
いつかこのブログを見つけてくれたらと
パソコンの奥の奥に隠すことにした
子どもたちが見つけたら何を思うのか
想像すると恥ずかしいような
ワクワクするような不思議な思いだ
そして私は今まで沢山の方の支えで無事生きてこられた
その恩返しとまではいかないが
私が頭の中のことをブログに書くということが
どこか知らない誰かのお役にたてたら嬉しい
そうしたら私の経験も無駄ではなかったのではないかと思う
それが
「わたしがブログを書く理由」なのかもしれない
とは言え
ブログの収入で老後
優雅にタワマンに住むという
妄想も描いている(笑)
最後に
父の日記で忘れられない文章があります
昭和の仕事一筋の父の日記です
今日は日曜日だ
妻はまだ寝ている
かわいそうだから寝かしておいてあげよう
お腹空いた
お菓子入れから大好きなおせんべいとビスケットを食べる
今日は何をしよう
休みは自由に過ごせる
俺の時間だ
新聞を読んでテレビを見る
本を読む
日曜日は楽しい
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「お父さんありがとうございました」
最後まで読んでいただきありがとうございました